item トムとジェリー

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written 2003/9/6 [ updated 2006/6/2 ]

Tom and Jerry (1940-1958)
アメリカの漫画映画。

アメリカン・カートゥーンの古典的作品。アカデミー賞を7回も取った初期のものはスクリーン向けの作品。
演出:ウィリアム・ハンナ、ジョゼフ・バーベラ、
プロデュース:フレッド・クインビー、
音楽:スコット・ブラッドリー
という、この初期(1940-1958)のスタッフによるバージョンが最もおもしろい。
後年のチャック・ジョーンズさんの作品(1963-1967)は、トムたちにかわいらしさがないために暴力性が露出してしまっている。
初期バージョンについてのみ書くと、暴力的なアクションもディズニーふうのかわいらしい人物・世界観のもとで、メルヘンチックな次元に昇華されている。瞬時に思いが読みとめる、表情描写がすばらしい。
「トムとジェリー」の爽快感の主要な原因をさぐると、ひとつは「権力のシーソー・ゲーム」という点が挙げられよう。
ネコ(トム)がネズミ(ジェリー)よりも強い=権力をもつ、という構造は、この物語の中であらゆる手段を用いて粉砕される。
それはジェリーの智恵だけではなく、犬とか人間の登場などによってもたらされるだろう。権力関係は固定されず、すばやいプロットの推移によって絶えず二転三転され、この関係性の遊戯の中で、権力そのものが宙吊りにされてしまう。シーソーの上を転がってきたボールを受け止めた者が、追う番になる。
最終的に誰が勝つかは問題ではない(たいてい、しかけた方が負けるしくみになっている)。
このシーソー・プロットを突き動かすのは「運動のメカニズム」である。
 走る→止まれない→階段に衝突する→身体が階段状に変形する
こうした典型的なシーケンスの連発が物語のリズミカルな単位となっているが、決して流血しない不死身さとかナンセンスとか、そういう覚醒した視線は、このスピーディな運動体の内部では、あらかじめ捨てられている。重要なのは、運動性そのものがすべてであるという、この特異な空間の構成原理だ。
「権力のシーソー・ゲーム」や「運動のメカニズム」を核とし、さまざまなゲストやシチュエーションが挿入され、ヴァリエーションが提供されるのが見所である。

ピアノ・コンサート (1947)

アカデミー賞をとった作品のひとつ。
トムがピアニストとなり、コンサートで「ハンガリー狂詩曲」を演奏するのを、なぜかピアノの中に住んでいるジェリーが邪魔に入る。ピアノ演奏およびピアノのメカニズムという「運動」が予想外のアクションを次々と生み出す傑作。
どこのピアニストを模したのか知らないが、トムのすました表情がすばらしい風刺となっている。

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