entry 「生きる」とは別の仕方で

書くこととは、生きるとは別の仕方で存在を始めることだ。

久々に作曲している。
「鬱」という停滞、生活上の辛さや多忙さなどから逃避するように、私はまた未来の「作品」に打ち込む。

少なくとも私にとって、「書くこと」は「生きること」と対立している。書いている時は明らかに、日常の諸事象やそれらとの関係性からは解放されるからだ。
ここでいう「対立」とは「 ...(全部読む)

 written by nt, 2006/12/1

[textes/notes]

entry 「表現」と主体 ― 心的リアリズムに向かって

「作品を書くことは、作者の内面や美意識の表現である」
などというときの「表現」という言葉が好きになれない。
「表現する」という言葉は、使役される対象(目的語)を必要とする。「○○を表現する」という、その「○○」は不可欠のものであって、「○○」なしに「表現する」行為が成り立つわけがない。いや、それ ...(全部読む)

 written by nt, 2007/4/17

[textes/思考]

entry 作品

私は何かのために書くのではない。

作品とは未知の身体であり、書くこととは身体への渇望のはけ口である。
何か実用的な目的とか、ロマンティックな目的で書くなどと称しているいんちきに加担するわけにはいかない。
書くことの中身には希望などありはしない。あるとしたら、あれくるう欲望の波だけだ。
だが、いつでもこの欲望が外に出てくるわけでもない。身体の創出のためには恐るべき試練が必要だ。
この生成作用は1個のできごととしてあらわれるべきだろう。

 written by nt, 2003/9/16

[textes/思考]

entry 生きながら書くことはできない

「残酷な小曲集」用のピアノ曲「トッカータ」が昨日完成し、そのままアップした。
これで5曲が完成したが、今回のは自分でもちょっと気に入っている。標題にある「残酷」の私なりのイメージに近づいてきていると思う。ただしそれを人がどう受け取るかは予測できないし、もうあまり期待もしないようにしている。

...(全部読む)

 written by nt, 2007/12/28

[textes/notes]

entry 書くことについて


 言葉を選び、紙の上に何かたしかな存在であるかのように文字を並べ始めると、あるとき自分の身体がふっと消え、言葉がもとの意図を超え自律的に組成されてくることに気づく。
こうして作品が生まれる。
「誰が」「誰に」「何のために」書いたという刻印は消え去り、ただそれ自体として存在し、一挙に普遍性を ...(全部読む)

 written by nt, 2002/1/22

[textes/思考]

entry 記号の国

「書くこと」はついに、記号の社会的連鎖の網を突破できるだろうか。

私たちは 記号の国 に住んでいる。
言説 は日常のあらゆる箇所を満たしており、 記号を介さず「もの自体」に直接触れることが、よほど困難にさえ見える。
そして私たちは記号を身にまとうため、意図的に努力している。
あるブランドの装飾品は記号として存在し続けるため、 決して「もの自体 ...(全部読む)

 written by nt, 2003/9/19

[textes/思考]

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