祭りの年を越して —コンサート「周縁のポエティカ・2024」終了—
written 2024/12/30
2024年9月23日、実質私の作曲個展コンサートである「周縁のポエティカ・2024」は、札幌市ザ・ルーテルホールにて、予定どおり実施された。
すでにあれから3ヶ月が経つ。音楽上の自分の生涯で最大のイベントが終わって、それについての記事を書こうと思い、幾らか草稿を書いてはいたのだが、「あれは結局何だったのか?」という総括を明確に打ち立てることが出来ずに、なにか困惑したような状態でぼんやりとその後の3ヶ月を過ごし、とうとう年末にまで至ってしまった。
確かにあれは私にとっては空前のイベントであり、類を見ないハレの出来事であったが、しかし日常ひっきりなしにコンサートに出演している(あるいは曲を提供している)音楽家たちにとっては、そんなに出色の出来事でもなく、なんとなく過ぎていく「いつものような」一コマでしかないだろう。
いずれにしても、「そんな一コマ」はその日とうとうやって来て、時間軸に沿って継起し、終わり、たちまち過去のこととして過ぎ去った。
1年2か月ほど前に構想し、テーマを突き詰めるために主に「トリックスター」関連の書物を猛然と読み漁り、たくさんの楽曲を新規に創作し、自らキーボードや電子パーカッション等の演奏の練習もし、ひたすら準備を進めた。
コンサートが近づいてきた数ヶ月は事務作業等に多忙で、楽器の練習に割く時間が十分に確保できないほどだった。コンサートの準備というものは、じっさいのところ膨大な「細かい仕事」がたくさんあるものらしい。
先行する他のコンサートのプログラムに自分のチラシを入れてもらう「折り込み」ミッションは、私自身がなかなか札幌に出向く時間がとれなかったり、奇妙なことにめぼしいコンサートが(特に8月は)見当たらなかったりして、期待したほど進めることができなかった。宣伝活動はあまり思うようにいかなかった。
9月23日当日の来場者数は結局、45名だったそうだ。全216席のホールだから相当まばらだが、自分の予想した来場者数とほぼ同じくらいだった。(あるいはもっと少ないかもしれないと思っていた。)

もちろん、私は完璧に形成された作品を完璧に呈示できるとは思っていなかった。
室内楽アレンジはやはり経験・知識不足からまずいところがあったし、あのようによく響くクラシック専用のコンサートホールでは、スピーカーから出る電子音響はどうしても籠もりがちで、「ボリュームの調整」はまたしてもすこぶる難問で、あまりうまくはいかなかった。
最適な形で呈示は出来なかったし、そもそも自分のこれまでの音楽活動の「まとめ」を発表する場とも思っておらず、すっきりとまとめられるような何物も、自分の音楽には存在しないとわかっていた。
しかし境界線上をうろつく「トリックスター」として顕現し、人びとにひたすら「刺激」を与えたい、うっとりしたり慣れ親しんだようなものに浸ったりするようなヒマを与えず、絶えず攪拌してやりたい、覚醒させたい、という意図は、ある程度達成できたのかもしれないと思っているのは、愚かな自己満足だろうか? ミシェル・フーコーのように『わたしは花火師です』との自己規定を、私は歩むことができただろうか?
来場してくださったお客さんのうち数名から「楽しいコンサートだった」とお声をかけていただき、その点ではまずまず成功したかと安堵したのだった。電子楽器の出番で「変装」なんてしたのは、もちろんトリックスターの一種としての道化/ピエロを演じるためだったが、そういう「演技」も楽しんで貰えたようだ。
コンサートのために作成した妙に分厚いプログラム冊子と、コンサートを撮影した動画から事後に作成した記録DVDは、私がやっと得た成果物となった。なお、後者については、何名かの方にご要望いただいて配布したが、DVDプレーヤーの機種によってはちゃんと再生されないという謎の現象に見舞われた。この辺、何故なのか、今でも私には分からない。
しかし、私は音楽的に何かを達成したわけではなかった。「飽きないコンサート」にするために敢えて調性的な楽曲を増やしたし、曲調もバラエティ豊かさを優先し、ある種のエンターティナーを演じることに徹したので、よりラジカルな音楽的探究は二の次とせざるを得なかった。
だから、その探究の道は依然として私の眼前に延々と続いていることに変わりはない。
来年になったらそろそろ作曲を再開させたいと思っている。今度は、いかなる制約もなしに。