item 非楽音、無機質系の誘惑

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written 2009/3/28

フュージョンをベースに、いろいろな要素を混ぜてみた「マーヤー」は結局のところ、エンターテイメント作品だった。
しかし「芸術」に対立するものとしての「大衆性」「娯楽性」という概念に対する私の思いは複雑である。
知的スノッブとしていつまでも近代西洋の権力構造の側に安住する気にもなれないが、かといって「エンターテイメント」の方に埋没してしまうのも、何か、違うと思う。
私はみんなが、嫌いなのだ。私の中にはたしかに「理由なき他者に対する憎しみ」が強く存在しており、人を楽しませるよりは人をくじき、苦しみを広め、毒をふりまきたいと願っているようだ。この典型的ルサンチマンこそは、私の「悪の根源」なのだが、たぶん私はそれを抱えたまま死んで行くしかない。従って「エンターテイメント」の方向性で役者を演じることは、私には無理である。

だから、優しいエンターティナーとして楽しさをふりまいて終わりたくはなかった。
それでいながら、「マーヤー」の場合、結局は「ただのフュージョン」のようなものになってしまったような気がしている。
ここには毒素が足りない。
端的に言えば、不協和音や無調っぽさが不足している。ちょっとルールからは外れてはいても、ある種のコードが、ある種の「ノリ」に乗って連続的に推移しているように聴こえる。こうなってしまうことについては、ある程度最初から予想できていたのだが・・・。
今回は、なにしろビル・ラズウェルの影響を直接受けているので、ベース音がでかい。確乎とした低音が存在した場合、その空間には強い重力が生まれ、和声的な強度や安定感が派生してしまう。
ラズウェルの場合、ダブという様式自体の要請もあって、また、たぶん自分自身の好みもあって、同じ音型を延々とミニマルっぽく反復するのがいつものスタイルなのだが、私は変化を求めたため、当然コード進行がどんどん展開されて行った。そこにぶっとい、強烈なベース音。このためそこに重力が発生し、「はっきりとコード進行のある音楽」になってしまったわけだ。ミニマル的な反復なら、むしろ重力がもたらす意味作用を無化しえたはずのところ・・・。
現代音楽では、十二音主義以来、ふつうはあまり「根音」を強調しない。むしろ「どの音も平等」という立場なので、特にしっかりとしたベース音が存在しないことが、あの不安定な無調サウンドを支えている。私も「かけら」も含め、これまでの作品ではベース音を重視してこなかった。それが、「ぶっといベース音」を導入したことから、変に保守的な和声に近づいてしまったのではないだろうか。
とはいえ、この点は単にエンターテイメント音楽の特色でもある。エンターテイメントが人に約束する音楽的享楽の土台には、「ベース」と「リズム(ビート)」という非常に単純なものの繰り返しが心理的にもたらす「反復の安心感」が必要だからだ。
また、単に無調部分を増やせばいい、とも思えない。誰もが知るように、「無調」とは、音楽の意味作用の世界では、ただ単に「ホラー的不安感」を表象するにすぎないからだ。へたをすると、「現代音楽」はそのまま「ホラー映画のBGM」になるだけなのだ。

ところでこの「マーヤー」、お気づきのようにすこぶるサウンドバランスが悪い。いくらなんでもベースの音量が大きすぎで、一方エレピの音が弱すぎる。単にiMacのスピーカーで作業していたらこうなっちゃったので、あとになってミニコンポで再生してみたとき、自分でもびっくりした。
ちょこっとパラメータをいじって最終ミックスダウンをやりなおせば済む話なのだが、面倒なのでまだ修正していない。私のことだから永遠に直さないかもしれない(開き直り)。

さて、ラズウェル・ミュージックでは一般に、延々と繰り返されるベース・フレーズやリズム・シーケンスの上で、さまざまなSEが鳴りまくる。エフェクトを過剰に使用し電気的に歪んだ音が飛び交う。非楽音的で無機質かつノイジーであり、そうしたものへの志向が明らかに見られる。
これはビル・ラズウェルには限らないことで、ポピュラーミュージックでの無機質な音素の多用は比較的多く見られると思う。avex系の、たとえば浜崎あゆみや倖田來未の曲のアレンジでも聴かれるが、まあ、そのへんはスパイス程度という使い方か・・・。
機械的なもの・無機質なもの・無生物へのこの偏愛は、ネクロフィリアとか物神崇拝(フェチ)とか物質主義とか、あるいはタナトスとか、そういった現代人らしい傾向を反映していることになるだろう(もちろんこれらの傾向は「現代人」に限ったものではないが)。オタクさん方の、初音ミクなど2次元キャラへの偏愛もその一つだろうけれども。生命あるもの(人間あるいは人間性)への不信から来る、無生物への愛着・・・。それは死へのひそかな憧憬と一致している。

私自身も、ビル・ラズウェル的な無機質さには妙に惹かれるものがある。このノイズの使用法はでたらめなようで決してでたらめではない(でたらめなら、こうは聴こえないし、聴くに耐えない)。
クラシック・現代音楽のエレクトリック路線は、いくつか聴いてみたけれど、なぜか妙につまらない。エレクトリック音素の操り方は、ポピュラーミュージック系のミュージシャンの方がはるかに優れているようだ。クラシック作曲家の場合はエレクトリックな音を単純に「新しい、これまでにない音」として使いたがっているだけで、無生物への愛着のようなリビドーが欠けているせいだと思う。ただし、電気系ではないがジョン・ケージのプリペアド・ピアノやなんかはわりとおもしろい。
私も「マーヤー」で少し使ったが、もっとエフェクト類を研究し、多彩な無機質音を操ってみたいなと思っている。
で、今度はアンビエント系っぽくやってみたいと思っています。
アンビエント、しかし、「癒し系」でなく、現代音楽の混ざったようなやつを・・・。

(だが私はこれまで根本的に、生命感あるものとしての音楽を探究してきたはずだ。そこに無機質な要素を大きく組み込むとどういうことになるのか? 新たな思考の場が現出するわけである。)

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