item ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』

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written 2007/3/2

高校生の頃に新潮文庫で出会い、その後何度か読み返してきた愛読書『ねじの回転(1898年)』が、東京創元社の創元推理文庫で「心霊小説傑作選」と副題をつけ、いつのまにか(2005年)出版されていたので、買ってみた。読んだことのない作品も含まれているので。
ジェイムズの小説は、「主観をとおして接し得た体験しか人は体験することができず、真相は結局わからない。」という構造をもつという意味では、リアリスティックだ。
しかし文学的にはそれ以上の意味がある。
読者を困惑させるその曖昧な書法は、物語世界を巨大な空白で満たしてしまう。この空虚さの感触がいかにも現代的で、私を惹き付けてきた。

さて創元推理文庫版『ねじの回転』(南條竹則・坂本あおい訳)だが、完全にホラーっぽい装丁がされており、なんとなく私のジェイムズのイメージではないのだが、まあ、この作品ではジェイムズは「怖い小説を怖い感触で書こう」と意図したようだし、このように晦渋でとっつきづらい作家を一般的な読者にも体験してもらう、という意味では、これもいいだろう、と思った。
今回久々に読み返してみると、語り手である女家庭教師の推論の仕方が妙に飛躍的なため、「2人の幽霊が子供たちにつきまとい悪影響を及ぼそうとしている、などというのは彼女の妄想にすぎないのではないか?」という気がし始める。
少年が学校で何を言い、放校されたのかとか、召使いと前任家庭教師は生前、2人の子供に具体的にどんなことをしたのか、とか、幽霊となった2人がいったい何をしようとしているのかとか、すべては謎のまま終わる。
このため歴史的にもいろいろ解釈があったようだが、ここではおそらく、最も素直な解釈(家庭教師の語りどおりの解釈)がジェイムズの意図に最も沿うことになると思われる。ジェイムズは「怖い話」を「怖さ」全開で描きたかっただけなのだ。
この「怖さ」はしかし、通常のホラーが描写するようなタイプのものとは違う。
ここでは真相不明の空白、その空虚さの中での戦い、はっきりとは何もわからないことによる不安と孤独と恐怖が、作品の核心であろう。
その企みはわからないが幽霊が出現したということ、そして最後に少年が死んだということだけは事実であり、それ以外の事情はもやの中だ。召使いと前任家庭教師とのあいだに性的関係があったという事実と、語り手の女性家庭教師が雇い主に惚れ込んでいるという事実と、このふたつのしるしによって、何か性的なものが物語の底に潜んでいるのではないかという気にさせるが、しかしその実態は謎のままであり、それ以上の解釈は過度のものとなってしまう。
空白」がまさにすべてを満たしてしまうがゆえに、この小説はやはり通常の範疇における怪奇小説として読むより、ジェイムズ文学の魅力ある果実としてとらえた方がいい。

あえてもう少し語ってみるとするなら、この小説には3つの岸辺があり、空虚さという湖沼をはさんで向き合っている。
一番手前にあるのは語り手である女性家庭教師の視点であり、その傍らには彼女の味方であり、相談相手であるグロースさんがいる。グロースはワトソン博士みたいな役回りであって、主人公の自在な空想・妄想をかきたてるのに役立つ。
他方の岸辺には幼い兄妹がいる。主人公には彼らが何を考え、何をしているのか、よくはわかっていない。この2人は主人公にとっては、徹底的に隔絶された不可触の「他者」である。
最後の岸辺には2人の幽霊がいる。まさしく他者としかいいようのない存在だが、彼らはただじっと立っているだけで、何もしない。何もしないがゆえに、主人公や読者による推論や想像がつきまとい、絶えず言表されながらも確乎として言葉を拒否する、真正の他者である。
手前の岸辺に立つ主人公と読者は、対面にいる幽霊・兄妹という両極の他者同士の関係性について思考をめぐらせることになる。しかし、人は自己と他者との関係性について言表することはできるが、他者と他者とのあいだのそれについては、本来語ることができない。
だからこれは、「語り得ぬもの」についての物語だ。
語り得ぬものであるために、空虚さが生じ、孤独がうまれ、不安と恐怖に陥るのだ。
そしてこの三者が交わる最後の場面で、唐突に他者である子供=マイルズが死んでしまう。彼について語ること、関係することは、ついに主人公から永久に失われてしまうのだ。この劇的喪失は主人公・読者を強烈な孤独に突き落とすはずである。
他者の喪失、関係することの不可能についての小説。
ジェイムズ『ねじの回転』は優れた現代芸術のひとつである。

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