item カルロ・ジェズアルド

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written 2007/10/20

Carlo Gesualdo(1566-1613)

最近好んで聴いているルネサンス時代の音楽では、ジョスカン・デ・プレやパレストリーナが中心だが、後期ルネサンスの異端児、カルロ・ジェズアルド(1566-1613)には特殊な興味を抱いている。
特に後期のマドリガーレや宗教曲には、半音階、不協和音等の「気持ち悪い」要素が(当時としては)かなり強い。
ルネサンスも末期になると、規範的な旋法作法が崩れて行き、このような半音階もジェズアルドに限らずしばしば使われたようだ。それにしてもジェズアルドの半音階・不協和音は苦痛や罪悪感を反映しているらしい。
カルロ・ジェズアルドは「殺人を犯した作曲家」でなかったなら、現代にまで名前が残っただろうか? 殺人の記録がもし現存しなかったら、彼の毒のある音楽語法は、情緒的表出として理解され得ただろうか?
1590年に彼は、妻とその愛人を、不倫の現場において従者とともに殺害した。
投獄されなかったのはジェズアルドが大貴族だったからなのか、当時のイタリアでは不貞を犯した者は配偶者に殺害されても仕方がない、という倫理的合意があったからなのか。
殺人後、ジェズアルドは城にこもり、追っ手(妻の親族の報復を恐れたらしい)を警戒した。
再婚してからも、新妻をかまうことなく、以前からやっていた作曲を孤独の中で、黙々と書く。
ジェズアルドの信仰心は固く、もちろん自己の凶行を悔いていた。彼は自らを罰するため、城の若者たちに自分の身体を毎日ムチで打たせた。

ジェズアルドの音楽は、チャールズ・アイヴズと同様に、やはり「アマチュアの音楽」だと思う。聴いただけで、それとわかるのだ。
ただ、この両者はアマチュアでありながら、独自の語法を果敢に開拓し、職業的作曲家にはなし得ないような冒険を自由にたのしんで結果的には「はるか時代に先駆けた」音楽を生み出した。とはいえ、結局アマチュアなので、その作品にはどこか粗さがあって完璧からは遠い。
この点、私はなんとなくジェズアルドに親近感を覚えてしまう。
それと、「罪の意識」。「自己の中の悪」の認識。

私は子どもの頃から頻繁に、同じパターンの夢を見る。
自分は何か「取り返しのつかないこと」をやってしまっており、その取り返しのつかなさに胸を刺されながら、絶望、終末感を抱きつつ、追ってくる他者たちを避け、迷路の中を逃げ続けるのだ。
この「取り返しのつかない罪」、それによって「」という記号をまとうことになった自己への意識、逃亡の孤独。 これらの感覚はカルロ・ジェズアルドの実人生にぴったりと重ならないだろうか。
ジェズアルドの生涯を最近知り、自分は彼の生まれ変わりなのだと思った。「取り返しのつかない罪」は既に私が生まれる前になされていたのだ。私はだから、生まれたとき既に「悪」なのだ。子どもの頃から持っている自罰的傾向も、ジェズアルドの血を引き継いでいるためなのだ。

ジェズアルドは権力ある身分だったにも関わらず、(私と同様)もともと内向的な傾向があり、後年は「鬱病だった」という説もある。ますます親近感が湧いてくるが、鬱病という概念はルネサンス期のイタリアにも存在したのかどうか、よくわからない。

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