item 近況―さまざまなコンテクストと音楽について再考

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written 2015/4/12 [ updated 2015/4/14 ]

 かなり長期間このサイトを放置してしまったが、原因のひとつは昨年後半から応募しまくった作曲コンペティションの結果がなかなか出なかったためと、何ヶ月も作曲に集中しすぎて創作意欲とエネルギーが消耗してしまったためと、そんなぼんやりな日々において突然、musicaliceland松本和貴氏からもの凄くファニーな作曲の委嘱が来て、これに取り組んでいたためである。

 コンペ関係ではラヴェル協会 Association Ravel(何故フランスでなくイタリアにあるの?)主催の「International Composition Competition”Maurice Ravel” - Bergamo (Italy) 2015」では「セミファイナリスト」に残ることができた。 
 現在、Webページ http://composercompetition.weebly.com/results.html の「Category B」(室内楽曲部門)の「Japan」のとこに私の名前が載っている。
 これは各国(米国は各州らしい?)にそれぞれ最大20名までの応募者枠があって、その中から選ばれた1名と、プラスアルファで20名の追加合格者が載っているらしい。
 最大20名だが、日本から結局何名応募したのかわからないし、どういう人たちが応募したのかもさっぱりわからないので、まあ、これだけならそんなに威張れるような事態ではないだろう。
 もしこの後の「ファイナリスト」30名に選出されたら証明書(賞状?)が貰えるらしく、そこまで行けなければあんまり意味はないと思う。まかりまちがって賞(3位までと「ラヴェル」特別賞)まで取ったら大金が貰えそうだし万一そうなったら授賞式のためイタリアにでも行ってみようかなあ・・・などと夢を見始めるとやばいので、いやそこまではいくらなんでも。と自戒しておく。
 まあ、「セミファイナリスト」くらいにはなれたということで、あんたの音楽もそんなに捨てたもんじゃないよ、と言ってもらえたということにして、これを記念にしておこう。

 作曲コンペティションにいろいろ参加してみて今回ますますはっきりしてきたのは、音大・芸大とも縁が無くすべて独学で好き勝手に私がやってきたのは、「現代音楽」という社会的コンテクストとは微妙に異なった音楽であり、かといって「ふつうのエンターテイメント」とも全然違うものなので、なかなか「社会」に認めてもらうことは難しい、という事実だ。
 社会はもろもろの次元に設置されたコンテクストに基づいて「音楽」を判定し、活用する。このことは決して否定され得ない。
 外部の音楽をいっさい受け入れず、密室にこもりきりで曲を作って、それを誰にも聴かせないという状態はいまどきほぼありえない。
 社会において音楽と呼ばれているものは、社会的に有意味な音楽である。価値観が多様化した現在においても、音楽の社会的な「コンテクスト」は無数にあるわけではない。ひょっとしたら、数えるほどしかない。
 私のような孤独で独善的なDTM系のアマチュアの音楽が、いずれかの社会的コンテクストに乗っかれるかどうかは、微妙なところなのだ。
 けれど、「社会的に有意味な人間」じゃなくたって、「人間」じゃないの。そこそこ無害に生きてるんだからほっといてくれよ。いいじゃんかよ、と突っ張って生き抜いた方が気楽であろう。自分ではそんな自分に、そこそこ満足しておけよ。

 さて松本さんから依頼された曲というのは、楽器を前にした奏者がひたすらお尻を叩くという奇怪なもので、まあ、コンプチュアル・アートの一種だ思う。私としては、モーツァルト的な「音楽の冗談」のヴァリエーションのつもりで、いつもとは全く異なる書き方で、そうとう戸惑いながら書いている。
 自分でちょっと叩いてみるとわかるが、楽器としての「お尻」は意外にも表情豊かで、叩き方、叩く位置によって音高とか音色がかなり変化する。楽譜はそこまで厳密な指示は出来ないから、この時点でかなり「不確定性の音楽」の要素も持っている。
 叩く以外に、複数の指のハラでお尻をこする「スクラッチ」奏法も使ってみたが、これは着ている衣服によってかなり音が変わる(絹のようなつるんとした衣服だとほとんど音が聞こえない。ジーンズのようなものだとはっきり聞こえるのだが・・・)。
 さてさて、コンサートではこれは一体どんなことになるのやら。楽しみと言うより心配だ(笑)。
 しかしこの「音楽の冗談」、楽譜が読める3人が誰かの家にちょっと集まって、余興にちょこっと「演奏」してみて楽しむのにはいいかもしれない。お尻でなくたって、いろんな所を叩いたり、こすってみたらいい。笑いながらの余興のなかにも間違いなく、そこに「音楽」は存在する。私はそんなイメージを持っている。これはアカデミックな音楽の構造から完全に逸脱した、原始的な「音楽の萌芽」とも言える。
 子どもたちはみんな、学校とかで机を叩いて「音楽」をやったことがあるだろう。それを禁止してきたのが大人たちの「社会」である。コンテクスト化されえない音楽は、社会にとっては余計なノイズでしかない。
 逆に言えば、原初的な音楽そのものは、コンテクストのあいだをすり抜けて生成を続けるはずなのだ。ただそれを、社会がたちまち回収してコンテクストに埋め込んでしまうのだ。

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