item 「幾何学詩集:共時態 Synchronie」を公開

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written 2012/8/18

 チェロとピアノのための「現代音楽」を書いてしばらく作曲を休んでいたが、今度はボーカロイドを使ったPOP系楽曲を作った。シリーズ「幾何学詩集」の最新作、「共時態 Synchronie」。
 ボカロの前作「場所 Topos」とは、聴いての通りおもむきが違う。前作はあくまで「現代音楽」の方向からPOP化したのに対し、今回のはむしろPOPな外見からスタートして音響の複雑化/無調化を試みている。
「残酷な小曲集」以来、私は西欧の古代・中世からルネサンス期における楽曲の前-近代性を参考に、出来るだけ反復や決まりきった文節感を廃し、自由に流動し続けるような構成法を探究してきた。それはまるごとカオスとしての「こころ」を反映させるための書法であった。
 一方で、POP感を強めたエレクトロニカ系音楽やボカロ曲では、むしろオーソドックスな文節法が必要となった。「メランコリー」あたりと同様、今作は4小節を単位とする楽曲構成法を、死骸(大衆社会は死の徴表を必要としている!)そのものにほかならないPOPの常套語法として、そのまま受け入れ、(シュクシュク・・・やピアノの繰り返しフレーズなどの)ミニマルミュージック的な要素も、あえて活用した。珍しく最後までほぼ4分の4拍子を守り通し、リズム的にはあまり大胆なことをしていない。
 全体に無調であるが、途中(「偽物のコミュニケーション・・・」)から比較的調性的な楽節が、突然入ってくる。ただし「どこか壊れたような感覚」を持続させることで、ロマンティシズムを拒否した。
 サウンド面では、ピアノの他、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという弦楽三重奏を参加させ、現代音楽志向のベクトルを残した。(陳腐な文節法とリズムに則っているために、あまり「現代音楽的」ではないが。)

 この曲の歌詞はインターネット時代の情報化社会における生を描出しようとしている。すべてが重さも深さも無い「情報」として受け止められるというこの時代の「共時態」的現状を、ちょっと過剰な毒素を込めてえがく。毒々しすぎて、これはまずかったかな、と思うくらいに。(こんな歌詞を書いていると憂うつになる。私の場合、人を攻撃することは自分自身を攻撃することとおなじであり、こうした攻撃的な毒は、結局いつも私自身を痛めつけるだけだ!)
 こんな歌詞がなくても、私の音楽は常に「情報化社会の音楽」になっていると思う。さまざまなチャンネルに属する要素が、勝手気ままに混成されるという意味で。この、以前ある方から私の「音楽のめざめ」について指摘いただいたことは、私の他の楽曲についても言える。ただし、クラシック楽器を用いた純?「現代音楽」の作品は、この限りではなく、比較すると何となく古くさいようにも感じる。
 
 この曲は「やや壊れたPOP」とでもいった位置づけとなるだろう。初音ミクに歌われているように、この音楽は無意味な記号の海で醸成される心的熱エネルギーが渦巻く「場」である。最高に無意味なミクのつぶやきが鳴り続け、耳に残るだろう。「シュクシュクシュクシュク・・・」「トタタラララ・・・」
 自分であれば、どうせならもうちょっとリズム面でも壊してみた方がおもしろかったかもしれないが、このようにオーソドックスな文節法・構成法をいちど守り通してみる、というのも一つの試みだろうと考えた。
 私が「試みてみるべきこと」はまだまだたくさん残されている。

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