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written 2010/1/19

 先日アップした「断絶詩集」の2発目「父の名 Noms-du-Père」、実は自分ではなんとなく気に入っている。ただし、歌詞にまったくポピュラリティがない点と、中間部のフーガがうまくいってない点(サビメロとは別の、あらたなフーガ主題を使うべきだったなと思う)、いまひとつだが、全体的に自分の好みによく合致した音楽になっていると感じる。
 ところが残念ながら、ほとんど聴いていただけていない。作曲休止状態にしていたせいもあるが、せっかく作った曲も最近はさっぱり聴いてもらえない。自分の音楽にポピュラリティがないのはやむを得ないというか、あえてそうしたというか、なるべくしてなったという感じだが、それにしてももう少し広く毒をふりまきたい気がする。
 もし自分の音楽を100人に聴いてもらえたら、そのうち0.3人くらいは「いい!」と言ってくれるかもしれないのに、そもそもひと桁の方にしか聴いてもらっていない(特に最近は実質2−3人ではないかと思われる)状況では、どうしようもない。

 インターネット上での自作音楽/DTMの領域は、どんどん狭まってきているという事実がある。大手の音楽配信・コミュニティサービスが相次いで消滅してしまったし、なぜか時代は「動画」であって、素人の楽曲など振り返られることもない。(当然と言えば当然なのだが)
 自分はテレビも見ないし、YouTubeもほとんど利用しない。私は動画に興味を持てない。動画というものの「時間」の流れは、私の意識の「主体的時間」にとって、あまりにも遅すぎるか、ないし速すぎるのだ。
 この「動画」の時間体制は、ポピュラーミュージックのビート/リズム・シーケンスに似ている。いったんリズムが動き始めたら、ぼーっとしていれば、なんとなく対象を受容できるのだ。リズムあるいは/こうした強制的時間体制を一度受け入れれば、あとはひたすら受動的に、何らかの心的体験を配給してもらえる。これはラクであると同時に、逆らいようもない時制なのだ。無力さの自覚、それが人々を陶酔させるので、YouTubeだのといった動画に向かわせているのではないだろうか。
 ともあれ、しょうがないから妥協して、今回の曲に急いで、いい加減な動画をつけてみた。
 そこでYouTubeに投稿したものの、・・・やっぱり期待したほどアクセスはない。ムダなあがきだったか。
 もう、何をやってもダメダメですね。

 自分の人生の、ここ10年くらいのスパンを振り返ってみると、意欲的に次々に作業をこなし、なおかつ周囲からも好意的なレスポンスを得られるといった、恵まれた状態は、2−3回ほどあったろうか。ただし、そんな好調もその都度、まもなく「転落」する運命にあった。何らかの問題があって結局周りの人々は去っていった。そして私は、再び孤独の中に沈滞する。
 この離反状況の積み重ねが、メランコリーを準備する。私が心の底で恐れているのは、いつもこの、「他者の離反」であったかもしれない。
 ここ3年以内には、私の生にあって「好調な時期」というのは全くない。
 自己がいくら積極的な姿勢を持とうとしても、既に「離反」は起こってしまっているのだ。それはそこに定着している。つねにこのような事態が現在ないし過去完了形で出現しているため、私はじきに行動不能に陥らざるをえない。自己の生は未来に向かって開かれようがないのだ。だから私は最初から最後まで「転落」し続けている。

 みずから閉ざされ、封じ込められている(テレンバッハの言う「インクルデンツ Inkludenz」)この世界は、ただひたすら膿み、ただれてゆくだけだ。

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